「隠された記憶」
2006.4.17

4月29日から渋谷のユーロスペースで公開される「
05年カンヌ映画祭で最優秀監督賞を含め3部門を受賞した、ミヒャエル・ハネケ監督の最新作。
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ 製作:マルガレート・メネゴス 出演:ダニエル・オートゥイユ、ジュリエット・ビノシュ、アニー・ジラルドほか 上映時間:1時間59分 配給:2005仏・独・伊・オーストリア/ムービーアイ・タキ・コーポレーション
舞台はフランス。人気キャスターのジョルジュをダニエル・オートゥイユ、ジョルジュの妻アンをジュリエット・ビノジュが演じている。
ジョルジュとアンは息子のピエロと共に平穏な暮らしを送っていたが、ある日、ジョルジュの自宅に不気味な絵と共に1本のビデオテープが送られてきた。ビデオテープは、彼らの自宅を少し離れた地点から撮影したものであった。
その後も同様の嫌がらせは続くが、ビデオの撮影内容は、少しずつジョルジュのプライベートに踏み込んだものへとエスカレートしていった。一体ダレが何の目的でこんなことを? やがてジョルジは、記憶の奥底からある思い出を呼び覚ますことになる…。
余計な前置きはなく、冒頭からゾクゾクさせる。
ミステリー仕掛けのこの映画は、題名から察しがつくように、ストーカーまがいの嫌がらせが、ジョルジュのある記憶に起因しているというプロットになっている。
いや、実のところ真相はわからないのだが、ジョルジュはその昔、ダレかに恨みを買われる“何か”をしており、それがビデオの一件にかかわっている——と観客に推測させる組み立てがなされているのである。
結局、ジョルジュは過去の記憶を、妻のアンに打ち明けようとはしなかった。やがて夫婦の信頼は損なわれ、家族の歯車が微妙に狂い始めていく。
人間の「やましさ」がもたらした悲劇。
この映画はダレもの心に響く哲学的な示唆に富んだ映画である。一度も「やましさ」をもったことのない聖人君子か、よほどの不感症者を除いては。
因果応報という言葉を思い出す。ジョルジュは数十年のときを経て、かつて犯した罪と同等、もしくはそれ以上の罰を受けるはめになる。それがダレか当事者の手による仕返しなのか、あるいは自分自身のなかで払拭しきれない罪悪感が引き起こした自演自作なのか、はたまたまったく予想外の人物や意思によるものなのか――断定はできないが。
ハネケ監督は確信犯的に一切の音楽を使用していない。それはまるで、あらゆる夾雑物を取り除くことで、日常への感覚を研ぎ澄まそうとする試みのようでもある。
ゆっくりと忍び寄るよう上質のスリラー。抑制を利かせながらも、物語は、終始一定のスリルと緊張感を保ち、そして、宣伝文句にある「衝撃のラストカット」へと運び届けられる。
「衝撃のラストカット」——ここで描かれているものについて、観賞後に他人と議論したくなることは間違いないだろう。そしてある人は瞬時に答えを出し、ある人は煙に巻かれ、ある人は想像力を総動員してその解明に努めるだろう。
ただ、大事なのは犯人捜しではなく、誰もの心のなかに居るジョルジュを見つめること。
安易に何かを与えてくれる映画ではない。
が、見つめ、考えたあとには、何かが生まれる映画である。
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