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「見えない敵」は必要 or 不要?

2004.8.28


沢木耕太郎が「女子マラソンで優勝した野口みずき、入賞を果たした坂本直子と土佐礼子の3選手が、『高橋尚子』という『見えない敵』と戦って勝った」という内容のリポートを書いたことに、村上龍があからさまな嫌悪を示した。


私は沢木耕太郎のリポートを読んでいないが、村上龍の言いたいことが良く分かる。沢木耕太郎はレース直後の野口に、「走っている時、高橋尚子さんのことを思い浮かべる瞬間がありましたか?」と聞いたそうだが、たしかに失礼な質問だ。


先日私は、日本人がドラマ性をもってスポーツを楽しむことは一つの妙味だと日記に書いたが、それはあくまでも個人レベルの話であって、マスコミが扇動するそういう類(『熱闘甲子園』のようなもの)についてはどちらかというと批判的だ。


野口みずきが走ってる最中にどうして高橋尚子のことを考えなければいけないのか、また一瞬でも考えたことがあったにしろ、それがどうしたというのだろうか。高橋尚子の一件を一連の流れとして個人がああだこうだいうのはいいと思うが、それをマスコミが扇動してしまっては、妄想する個人の楽しみさえ奪われてしまう。


だが、今回のレースに「見えない敵」という題をつけ、高橋尚子を引き合いに出すというやり方は、いい悪いは別にして、いかにも沢木耕太郎的であり、村上龍に言わせれば「不要な物語を必要とする文脈」である。


沢木耕太郎の代表作の「深夜特急」を読めば氏がどれだけ脚色能力に優れているかが分かる。脚色能力というと響きは悪いが、あの本は氏が旅から帰ってから10年経過した後に書かれたものであるにもかかわらず、セリフを含めたディテールがあまりにも鮮やかで、まるで旅にビデオカメラでも持っていっていたかのような臨場感がある。あの本を読んだときに、これは小説だ、と思った。


幸いにも、あの作品はすべては自分の体験に基づいたものなので、たとえ「不要な物語を必要とする文脈」を必要としていたにせよ、エンターテインメントとして優れているのだから一向に構わない。


ところが本気で戦っているアスリートを前に、「不要な物語を必要とする文脈」を持ち出すのはあまり賢明なやり方ではない(実際そうした文脈はテレビや雑誌など多くのマスメディアで顕著)。ドラマ性ばかりを高めてしまい、真実を歪めかねない。


最近のドキュメンタリーはドキュメンタリーになっていないものが多い。ノンフィクションにも同じことが言えるのかも知れない。

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