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花の植え替え、労働の社会性

2002.9.21


私が住む町には、歩道や交差点などにいくつものプランターが置かれ、そこにはたくさんの花が植えられている。寿命を見透かしたかのように花はタイミング良く植え替えられ、名も知れぬ色とりどりの花々が、一年中、地域住民の目と心をなごませている。


それらの花が枯れている姿をほとんど見たことがない。行き届いた手入れと、小まめな植え替え作業のおかげだ。私はこれまでそういった恵まれた環境を、この町の住人に与えられた特典のように思っていた。


ところが、偶然にも先日、花を植え替えているところを目撃し、猛省を余儀なくされた。作業員たちが健常者ではないことは、一目見て分かった。路側に停めてあるライトバンには、とある社会福祉法人の名前が書かれていた。つまり、植え替えを行っている作業員は、町役場の人間ではなく、知的障害者を中心とした授産施設に通う人たちだったのだ。


自分の勘違いに舌打ちしたい気分だった。


施設の保護下にある彼らは、たしかに資本主義社会における一般構成員としては「不適格」の烙印を押された人たちかも知れない。しかし、彼らの献身的な働きぶりと、その労働の成果の大きさを考えると、何をもって社会の「不適格」なのかを考えずにはいられない。


私は思う。労働が賃金という対価を得るための行為であることは紛れもない事実だが、ちまたでは「社会性」をないがしろにした人や企業が、粗悪な儲け主義に走るケースがあまりにも多過ぎはしないだろうか、と。

誇大な惹句をエサにした詐欺まがいのセールスや強引な勧誘がやたらと目につく。大企業とて例外ではない。昨今取りざたされている食品業界の不祥事は、まさに「社会性」を無視した生ぬるい企業体質の結末にすぎない。たとえ「資本主義社会=利益追求型社会」という前提があるにせよ、そのプロセスの中で「社会性」の重要性が論ぜられないのは、ナンセンス以外の何ものでもない。


いずれにせよ、花を植え替える彼らの労働の評価が、「利益を追求していない」という理由によって、不当に退けられているのであれば、日本という社会の馬鹿げた価値観を疑わねばなるまい。理想論をかざすつもりはないが、労働の意義とは、賃金を含めた自己実現もさることながら、「社会性」までをも含んだ行為を指して然るべきであろう。


そしてまた、国民の一人ひとりが、社会に対して献身的に働く人に対する敬慕の気持ちを忘れてはならないだろう。少なくとも、今回の私のように、健常者が非健常者の手助けを受けながら、日々の慰安を手に入れているようなこともありうるわけだから。


一年間もこの町に住んでいながら、彼らの社会的活動に気付きもしなかった自分自身を、また、そのような事実を積極的に公表していない社会を遺憾に思う。


今はただ、彼らの「社会性」が正当に評価される時代が来ることを切望せずにはいられない。もちろん、その祈りが通じるまでに植え替えられる花の数は、できるだけ少ないほうがいい。

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