サノヒロアキ「10年旅行」(アルバム)
2006.4.24

大学時代の音楽仲間であるサノヒロアキからCDが送られてきた。5月22日に発売される自身のソロベストアルバム「10年旅行 ~ベストオブ☆ヒロちゃん2006-1996」(FJHR-0002/\1500)。
ふだんはバンドで活躍している彼だが、その珠玉の才能は、バンドのボーカリスト&パフォーマーとしてのそれだけではなく、シンガーソングライターとしてのものでもある。
このアルバムには、バンドの楽曲とは別に、彼がライフワークとして歌い続けてきたソロ楽曲が収められている。ボーナストラックを含めた全15曲は、アルバムタイトルの通り、彼が旅してきた10年間の軌跡そのものである。
ギターの弾き語りを中心とした楽曲は、メロディーメーカーとしての資質と、吟遊詩人としての資質が見事に交錯しており、どこをどう切り取ってもサノでしかない。そして思うのは、彼の歌の原動力——それは“痛み”ではないだろうか、ということ。
そんなふうに書くと、本人は「そんなカッコいいもんじゃない」と笑って否定するかもしれないが、ボクはその感想を訂正するつもりはない。
さして代り映えしない日々。多かれ少なかれ、それがボクらに与えられた現実だろう。起伏のない日々の惰性に流され、いろいろなしがらみにもまれながらも、なんとかして起き上がり、羽を羽ばたかせ、舞い上がろうとする。重たく雲が垂れ込めた都会の空に、ほんとうにボクらが飛べる場所があるかどうかは分からない。だけど、サノは澄み渡った青空を信じて、羽を羽ばたかせることをやめようとはしない。幾度となくその羽をもがれかけながらも。
不器用——。それは今の世の中では褒め言葉になりえないのかもしれないが、そんな不器用さを自認しながらも、ただひたすらに信じる道を歩き続けるサノの純粋な生き様は、彼が紡ぎ上げる「曲」に「詞」に「歌声」に、すべて放り込まれている。時代がどう評価しようと、彼は歌を歌い、作品を残し続けてきた。そこには本来、「評価」などという概念すら入り込む余地はないのだと思う。ボクが書くこんな能書きを含めて。
ボクにとってサノの「10年旅行」は、終着点のないロードムービーに等しい。
自由な旅に“痛み”はつきものだから。
根底に“痛み”が流れていればこそ、彼の歌はダレよりも優しく、切なく、温かい。そして、その“痛み”はかけがえのない希望へと昇華され、リスナーの心を至福の世界へと誘っていく。
サノはそんな“痛み”をいつも笑いながら歌っている。さもそれが自分の友達であるかのように。“痛み”を出発点する希望には真実味がある。それがボクがサノの歌に惹かれ、勇気づけられる理由である。
彼のCDがたとえ日本のヒットチャートをにぎわす作品の何十分の一、何百分の一しか売れないとしても、彼の歌のもつ価値は変わらない。そう、未来永劫、ずっと。
おそらくボクが、この「10年旅行」を365日、BGM的にへビーローテーションさせることはないと思う。だけども、これからの人生において、何か心のなかにうずきを感じたとき、胸がざわついて仕方がないとき、ボクは迷わずオーディオプレイヤーにこのCDを入れるだろう。それは彼が、商業ベースに沿った「流行」ではなく、極めて個人的なフィルターを通しながらも「普遍」を歌っているからにほかならない。
サノヒロアキは歌う。
「暗闇もきっとてらすよ。きみと光るように生きていくんだ。暗闇もそっと笑って、おねがい、目をつむるなんて言わないで」(「きっとてらすよ」より)
