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戦争デビルに駆逐される前に

2005.8.15


戦争とは簡単にいえば復讐の応酬である。


人間は加害者意識よりも被害者意識にが強いため、一度そのサイクルにハマると、なかなか出ていくことができない。だが、復讐は復讐した者にどれだけの利益や幸福をもたらしてくれるのだろうか? よく分からない。


戦争とは究極的に人間同士、1対1の殺し合いである。


たとえば、敵の1人が私の友人や家族を撃ち殺す。そのとき私は即座にその敵を撃ち殺すだろうか? 撃ち殺せるだろうか? あるいは撃ち殺さずに済ますことはできるだろうか? 想像の範囲で出せる答えではない。


もちろん心情的には誰かを殺してまで自分が生きていたいとは思わない。相手を殺すことが友人や家族の弔いになるのかもよく分からない。できれば誰一人として、殺したくはない。


でも友人や家族を殺された私は、逆上、激高のうえ、その敵に引き金を引くことになるだろう。1発どころじゃなく10発も20発も。


理屈じゃないのが戦争である。


戦争では、多くの人の思考が悪魔に駆逐され、冷静な判断を下せなくなる。そのことは歴史が十分すぎるほど示している。人間は弱くて脆い。環境に大きく左右されるし、ましてや生き死の境界線上で「理性」や「秩序」や「教訓」の旗がなびくはずもない。


ゆえに、戦争をしないための努力が必要なのだろう。


戦争をしないための努力というのは、何も「戦争反対!」と叫ぶことだけではないだろう。自分の中にある「恨み」や「復讐心」という“負”の感情の本質やその効用に対する理解を正しく深め、もし誤りを発見したときには、恐れず勇気をもってその質を修正していくこと。


日々の生活にゴロゴロしているささいな戦争の火種、それらとどう向き合うかに、人間が「一歩先に進む」ためのヒントが隠されている気がする。


戦争は限りなく個人的な問題である。

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